2012年08月20日
寝床の中では、母親のそばで、
寝床の中では、母親のそばで、 子供がまた動きだしていた。未知の苦悩が、おのれの存在の奥底から湧(わ)き上がってきていた。彼は母親に身を堅く押しつけた。身体をねじまげ、拳(こぶし)を握りしめ、眉(まゆ)を ひそめた。苦悩は力強く平然と、大きくなるばかりであった。その苦悩がどういうものであるか、またどこまで募ってゆくものか、彼には分らなかった。ただ非 常に広大なものであり、決して終ることのないものであるように思われた。そして彼は悲しげに声をたてて泣き出した。母親はやさしい手で彼をなでてやった。 苦悩はもうずっと和らいでいた。しかし彼は泣きつづけていた。自分の近くに、自分のうちに、その苦悩がいつもあるように感じていたからである。――大人(おとな)が 苦しむ時には、その苦しみの出処を知れば、それを減ずることができる。彼は思想の力によって、その苦しみを身体の一部分に封じ込める。そしてその部分はや がて回復されることもできれば、必要に応じては切り離されることもできる。彼はその部分の範囲を定め、自分自身から隔離しておく。しかし子供の方は、そう いうごまかしの手段をもたない。彼と苦しみとの最初の邂逅(かいこう)は、大人の場合よりもより悲壮でありより真正直である。自分自身の存在と同じように、苦しみも限りないもののように思われる。苦しみは自分の胸の中に棲(す)み、自分の心の中に腰を据(す)え、自分の肉体を支配してるように感ぜられる。そしてまた実際そのとおりである。苦しみは彼の肉体を啄(ついば)んだ後でなければ肉体から去らないだろう。
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欲に目が眩む
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投稿者 クレジットカード 04:19 | コメント(0)| トラックバック(0)
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